知識欲

「若さ」においては、どんな青年にもピケをとらないと自負している私だが、なんといっても一九○六年生まれである。頭の禿げている私のことを、世間では長いこと「ホンダ・アプレ」と陰口をたたいた。ホメ言葉か悪口か知らないが、これをもっていかに社会が保守的で、セクトにこだわり、排他的か、わかると思う。私は深刻に、これではいけないと思う。オトナ達が本気で未知の魅力にとりつかれ、勇敢にそれを追求しなければ、家庭生活は暗くなり、社会に活力が消え、その結果、国家も斜陽のコースをたどることになる。なぜかといえば、消極的なオトナに囲まれていては、満足に若い芽も、若いエネルギーも生まれにくいからだ。子ども達が、見るもの聞くものに疑問をいだき、関心と好奇の目をみはる。なんでも掴もうとしたり、口に入れたり、破いたり壊したり、親をハラハラさせる。「どうしてなの?」を連発する。子ども達にとって、すべてが未知の対象だ。恐ろしさも確かにあるだろうが、子ども達はそれにひるまない。未知への探求心は、探険家の心理に通じる。子どもというものは、だいたいそんなに相違のあるものではない。同じ程度のテンポで成長するのだから、どの子も一様に勇敢な未知の世界への探険家である。親達はとかく無理解に、この探険家を冷遇する。そして未知への関心の芽を摘みとったり、ゆがめたりしている。この傾向は、子どもが幼児から青年に成長しても、一向に改まらぬどころか、むしろ頑固さが加わるほどだ。若い人達は、当然ながらまだ自分の思想も固まっていない。いろいろな未知を追求し、体験していくうちに、自分の考えもはっきりして、その個性も形成されていく。そのため知識欲に燃えて、手当り次第に本を読みあきるのもよい。力いっぱい体を鍛えるのもいいだろう。仕事に打ち込むのも、精いっぱいに楽しみを味わうのもよい。それが若さであり、青春の特権なのである。←こちらから情報収集を始めましょう。


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